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薬王寺を巡る
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1. 仁王門
入母屋造り 本瓦葺 三間一戸8脚門
天保六年(1835年)建立 大工・槌谷悦藏の作。
両脇後方に仁王像を安置する。
平成24年解体修理。
2. 仁王門前 石柱
【不許酒肉五辛入界内】
山内(境内)に酒や肉(不精進)、五辛(ニラ・ネギ・ニンニク・サショウ・ラッキョ)・・・ (修行の妨げとなる刺激の強い物)の入界を断じているものである。
当山が古来より厳格な修行の道場であったことを、今に残すものの一つである。
3. 石臼
絵馬堂に据えてある石臼は真言を唱えつつ、入れてある香を杵をもって自分の年の数だけつけば、身・口・意の三業の罪悪を破滅し、無病延命が得られると、伝えられている。
4. 大香炉
絵馬堂にある大香炉は、昭和34年のもの。
当寺の元檀家であった、福岡・徳島水産社長 徳島喜太郎氏の寄進である。
5. 本堂
文治4年(1188)堂宇全焼す
寛永16年(1639)江戸前期、本堂其の他殆ど消失す。
明治31年8月 方丈庫裡護摩堂、仮薬師堂消失。
第18世 実善代。
現在の本堂は、明治41年の建立。
6. 裏堂
本尊は文治4年の火災のとき、自ら飛び去って、のちの奥ノ院玉厨子山(たまずしやま)に留まって毎夜光を放ち、その後、伽藍が復興して入仏供養がおこなわれたとき飛びかえって新仏の後に座せられた。人々はこれを後向薬師といって今なお秘仏となっている。
7. 大師堂
宝形造り本瓦葺、4間半四方 文政3年(1820年)の建立。
弘法大師坐像〔天文19年(1550年)造〕を中心に龍猛・龍智・金剛智・不空・善無畏・一行・恵果(各二尺)の真言宗八祖坐像をお祀りする。
両脇には脇士として 持国天・毘沙門天〔各立像三尺・享保9年(1724年)造〕
※平成20年解体修理。
8. 地蔵堂
入母屋造り 本瓦葺、正面2間・奥行き3間。
地蔵菩薩半迦座像3尺5寸。
聖観音立像2尺。
弥勒菩薩。
不動明王立像2尺をお祀りする。
9. 随求塔
高さ1丈6尺、台石の幅8尺、四方に玉垣を巡らしその内に平石を敷き詰め、真言を唱えつつ行道する場所としてある。
塔中には、大随求菩薩及び銀製5寸2分の宝瓶に仏舎利数粒を入れ安置してある。
石材は全部花崗岩とする。
※資料【日和佐郷土誌】
10. 随求の鐘
大随求菩薩の真言には、災いと罪を払う功徳があるとされることから当山薬王寺では、真言を唱え自身の数え年の数だけ鐘を叩き厄災消除を願う。
大随求真言
おん ばらばら さんばら さんばら いんじりや びしゅだに うんうん ろろしゃれい そわか
11. 寿老人
阿波七福神霊場の一つ・『富貴長寿の神様』
無病息災・厄除・長寿を授けて下さる神様で、財宝に恵まれ地位名誉を得て、健康で長生きさせて下さる。
『寿老人御詠歌』
玄鹿の 命ながきに あやかれと 杖をつきつつ 世を救う神
12. 賓頭蘆尊者
十六羅漢の第一尊者
『羅漢』・・・煩悩を滅尽して、世人の供養を受ける資格のある聖者。釈迦の眷属として、正法護持の修行者の形で表現されることが多い。
衰老の僧形として食堂に安置されるが、文殊菩薩ともいう ・除病の撫仏(なでぼとけ)として、広く寺院の外縁に安置されている。
13. 六観音
不空羂索観音・聖観音・如意輪観音・十一面観音・馬頭観音・千手観音
14. 魚藍観音
中国、唐の時代、仏が美しい乙女の姿で現れ、竹籠に入れた魚を売りながら仏法を広めたという故事に基づいて造形されたもの。
奉寄進 大阪市中央卸売市場 株式会社 大水
年に一度、(株)大水の役員が魚鱗供養に訪れるほか、漁業関係者のお参りが絶えない。
15. 鎮守堂
山岳信仰として名高い北陸の、白山神社の御神体 白山大権現をお祀りする。
16. 肺大師
本堂の裏からラジウムを含んだ霊水(瑠璃の水)が湧出しており、肺病など諸病に効くといわれ、この名がある。
祠(ほこら)の中には石像の弘法大師が祀られ、祠の足元から湧き出す水は枯れることがない。
17. 十王堂
冥土で亡者の罪を判断する 司法官の十王をお祀りする。
1. 秦広王 初七日 不動明王
2. 初江王 二七日 釈迦如来
3. 宋帝王 三七日 文殊菩薩
4. 五官王 四七日 普賢菩薩
5. 閻魔王 五七日 地蔵菩薩
6. 変成王 六七日 弥勒菩薩
7. 泰山王 七七日 薬師如来
8. 平等王 百 ヶ日 観世音菩薩
9. 都市王 一周忌 勢至菩薩
10. 五道転輪王 三回忌 阿弥陀如来
18. 瑜祇塔
昭和38年9月建立(高さ29m)
本尊金色五智如来
昭和39年は弘法大師が四国八十八ヶ所の霊場を開創してからちょうど1150年に当たり、また、翌40年は高野山開創1150年に当たるのでこれを記念して建立されたものである。
瑜祇塔は真言宗所依の経典である。
瑜祇経の教理を形にあらわしたものであり、経文には世の中のものみな二つの相対したものからできているが、これが一つになることによって世界の平和や家庭の幸福の基礎があると説かれている、天と地が和合して万物が豊かとなり、労使が相寄って社会の平和ともなる道理である。
瑜祇塔には上方に金剛智慧をあらわす五峯を示し、周囲に胎蔵の理論の表示である八柱を建て、これが不二を示すよう上の方が四角、下の方は円筒形の一重の塔となっている。
19. 戒壇巡り
闇の中で、薬師如来と結縁する戒壇巡り。瑜祇塔に入ると左手に入口があります。
階段を下りると漆黒の闇。左側の壁をさわりながら一歩ずつ、すり足で進んで行くと瑜祇塔中心部にあたる場所に、かすかな光の中薬師如来と脇佛の日光、月光両菩薩が 静かに出迎えてくれる。
日常での迷いや苦しみ(闇)の中、一条の光の如く手を差し延べ、救って下さる薬師如来と、縁を結んでいただく場所であります。
20. 展示物
地獄絵図・両界曼荼羅・絵馬・書画・九想の巻・弘法大師行状絵巻・魚藍観音型枠 等
21. 鳴門秘帖
「各々の尋ねている法月弦之丞でござるが・・・」薬王寺の石段を下って来る同心衆の路をふさいだ怪しい遍路の壮重な宣言である。
「今この境内で召捕られた二人の縄付を拙者の手へ渡してもらいたい」吉川英治の代表作『鳴門秘帖』剣山の巻に徳川の隠密、法月弦之丞(小説の主人公)が剣山の山牢に閉じ込められている甲賀世阿弥を救出するため、阿波に潜入して日和佐に忍び薬王寺を舞台に活劇を見せるのである。「遍路の歌」と題するこの一段は傑作中の傑作と思われる。阿波では徳島は 別として、薬王寺と剣山と鳴門との三ヶ所が舞台に選ばれている。かくて薬王寺は小説上の名所として全国に知られることになった。なお作者は一応日和佐を視察したようで、厄除橋、男坂、女坂、星越などの地名が記されている。
22. 空海の風景
『空海の風景』(くうかいのふうけい)は、司馬遼太郎の歴史小説。平安時代初期に密教を独自に体系化し、真言宗の開祖となった空海を扱った作品である。第三十二回(昭和50年度)芸術院恩賜賞文芸部門受賞作。
23. 大楠
日和佐町重要文化財
樹齢600~700年と推定される。
24. 厄坂
男厄坂42段、女厄坂33段。
文化5年(1808年)現在の厄坂に改修終了。
男女還暦厄坂61段。
瑜祇塔落慶時に完成。
25. 鐘楼堂
現在の梵鐘とも昭和33年2月23日に吊り上げ式。
毎日、朝6:00と 夕5:00に12回撞かれる。
町内の時報となっている。